2013年6月26日水曜日

進め!JPO(タンザニア教育編)  宮沢一朗氏

進め!JPO(タンザニア教育編)
UNICEFダルエスサラーム JPO
宮沢一朗氏
(ML連載記事)

進め!JPO(タンザニア教育編) 第1回 2001/2/6
JPOクラブの皆様、初めまして宮沢一朗と申します。99年の11月よりUNICEFダルエスサラームの教育課で仕事をしています。短く簡潔に5回連載で行きたいと思います。内容は以下のように予定しています。よろしくお付き合いください。
1.UNICEFダルエスサラーム教育課
2.素晴らしい人たち
3.事務所でのある一日
4.不透明な体制
5.今後の展望
では、第一回を始めさせていただきます。
1.UNICEFダルエスサラーム教育課
ダルエスUNICEF事務所は、プログラムオフィサー45人、秘書20人、業務関係25人、ドライバー10人程抱える大きな事務所です。また、この他ルワンダ国境辺に難民キャンプのための地方事務所が4つあります。
ダルエス事務所のプログラムセクションは5つの部署(Cluster)で構成されています。
(1)AMCA (Assessment, Monitoring, Communication and Advocacy)
(2)BELSA (Basic Education, Life Skill, and Adolescents)
(3)ECD(Early Childfood Development)
(4)CCB (Community Capacity Development)
(5)Kigoma/Kagera (Emergencies)
そして私の教育課はBELSA(ベルサ)に属しており、現在8人のスタッフが勤務しています。教育プログラムはNational,District,Ward, Village Levelにおいて進めており、就学率向上、教育質改善、女子教育促進が主な目的です。また、その各Levelにおける主なActivityは以下の通りです。
National level
Development of education master plans
Development of national curriculum
Study of the quality education in Tanzania
Dvelopment of the national education statistics database
District level
School Mapping
District Education Micro Planning
Ward level
Ward Based Education Mangement
Village/Community level
Child Friendly School (CFS)
Complementary Basic Education (COBET)
そして、自分の担当領域はVillage levelのCOBETを除いた全体です。District level以下のActivityの詳細に関しましてはホームページに載せました。(MsWord英語です)
http://home.att.ne.jp/blue/matsushou/jpohome.htm
ご興味のある方はそのページ一番下のEducation activities in District, Ward and Villages 右クリックでDownloadをお願いします。当ページはその他、同僚やタンザニアの学校の様子を載せてみました。次回よりこのページを含めながら色々とお話させていただけたらと思います。よろしくお願いします。

進め!JPO(タンザニア教育編) 第2回 2001/2/10
第2回 素晴らしい人たち。
ここUNICEF Dar es Salaamで働いていて嬉しいことの1つは、素晴らしい上司や同僚と出会えることである。
Dr.Agu
99年末、赴任直後の上司はDr.Aguという大きな大きなナイジェリア人だった。とにかく誰か来るたび、また電話で誰かと話すたびにDr.Aguは大声で「ひゃひゃひゃ」と良く笑っていた。その声は2階のフロア全体に響き渡っていた。毎日、人の顔を見にきては「イチロー、ハッピィーか?」と聞いては「俺はお前にハッピィーでいてほしい。ひゃひゃひゃ」と笑っていた。彼の机はものすごい書類がいつも積み重ねてあった。その机の引き出しを開けるとビスケットやケーキが常に入っていた。
Dr.Aguのすごいところは教育に関して強いVisionをもち、またPresentation能力に秀でていた。そのため、タンザニアの教育省のほとんどのOfficerの常に兄貴分、相談役であった。前回で紹介した、District LevelでのSchool Mapping(各Districtの学校教育状態をDistrict Officerや学校関係者達が自分達で細かく調べていく活動)の発起人はこのDr.Aguである。97年に始まったこのSchool Mappingはその後国中で大きなムーブメントとなり、またJICA等の参入もあり2001年の現在では55DistrictにおいてSchool mappingがなされている。
Rozanne、(http://home.att.ne.jp/blue/matsushou/jpohome.htm の番号1)
現在BELSAのHead、日本の会社でいうと部長。スコットランドの人だが、タンザニアとの結びつきは長く、スワヒリ語が現地の人より上手ーい。頭の回転が速く仕事がすごく出来る。写真で感じられるとおり、とても優しく、明るく、面白く、部下を本当に大切にしてくれる部長。20年程前に日本の国連大学にいたことがあり、毎朝「おはようございます」と挨拶をしてくれる。
Mrutu (上記ページの番号2)
現在コンサルタントとしてUNICEFに勤務、本業はタンザニア教育省のViceCommissionerである。自分が知る限り、教育省の中で教育に関して一番の知識と経験をもつ。タンザニア人の同僚で仕事を進める上で最も信頼でき、頼りになる人。Mr.Mrutuと教育に関して、特にChild Friendly Schoolに関して話すととても楽しく熱くなる。Mr.Mrutuなしではもう働けないぐらいお世話になっている。
Mabala(番号3)
HIV/AIDS & Life SkillのHead。僕の知らないこと、知りたい答えをたくさん知っている人。タンザニアには20年程住んでいる。HIV IssuesやタンザニアのYouthに関してはこの国で一番その実情を把握している。スワヒリ語の本を出版するぐらいスワヒリが堪能というか、自分の言葉となっている。Workshopにて度々、Uniqueなfacilitatorを務めるが、その人を引きつける力や会議での発言力は到底マネできるものではない。現在、タンザニアUNICEFで一番多忙な人。その昔、「Pedagogy of the oppressed」を愛読していたとか。自分はなるべく近くにいて色々と勉強しようと考えている。
Tabu(番号4)
BELSAの頑固な秘書。女性一人で17人もの子供の面倒を見ている。実の子供は3人だが、親類等から14人も預かっている。教育課にもう10年以上いるのでその歴史に一番詳しい。とても便りになるが、お互いの頑固さより、よく些細なことで言い争う。本日のあまり高レベルではない言い争い、
Miyazawa:「人間なんだから忘れてもしょうがないよ」
Tabu:「いいや、あたしはGood。忘れることは無い」
Miyazawa:「そんな人間いる訳ないでしょ、だとしたら神だよ」
Tabu:「そう、私は神(笑)」
Miyazawa:「、、、、、、、、、」          

ホームページの写真5は僕の机です。目の前に妻の写真を貼り、いつもきれいに片付けています(?)。次回は、どのように仕事を毎日行っているか報告しようと思います。よろしくお願いします。
進め!JPO(タンザニア教育編) 第3回 2001/2/17
今日は、クラブJPOの皆様。タンザニアの教育編の3回目をお送りします。
タイトルは「遠い子供達」 前回より1週間あけてしまいました。すみません。
年に2回、3週間かけて地方周りをする機会がある。ホームページ
http://home.att.ne.jp/blue/matsushou/jpohome.htmの写真7から14はその地方周りの時に撮った写真である。子供に会うことで仕事へのMotivationを高めることが出来る。今から7年前はケニアの田舎の学校で教師をしていた。その頃は、子供達が近かった。ここタンザニアにもサポートを必要としている子供は目の前にたくさんいる。今はその子供達へサポートを送るためにUNICEFで働いているが、なかなかこの子供達に手が届かない。
所属する教育課のプログラムは基本的に子供達の周りの環境、特に教育に携わる人材育成が大きな目標である。まさしく、Human Resource Development、CapacityBuilding一直線である。実際、National Officer,District Officer, Head Teacher,Teachers, School Committeeへのトレーニングやオリエンテーション、またNationalやDistrictレベルでの教育改善のための計画策定、Curriculum Development等のために年間予算の7割をつぎ込んでいる。しかし、このCapacity Buildingはなかなか難しい。
TechnicalなSkillのトレーニングは別として、社会的なことや男女間の考え方をオリエンテーション等で紹介することがあるが文化や習慣と摩擦する場合がある。Human RightsやChild Rightsをタンザニアの文化や国としてあるものと合致させて紹介されていない。なんと言えばいいのか、日本の文化等を全く理解したり勉強したりせずに、外国人が偉そうに人権だなんだと日本人に講義しようとしてる感じに似ている。勉強として興味ある人には楽しいかもしれないが、普通の生活を送る人たちのBehaivor changeには及ぶのは難しい。
また、Capacity Buildingを主体としたワークショップに参加する人には参加日数だけの日当(DSA)が与えられる。政府の決めたレートなのだが、たった3日分のDSAは彼らの月給に相当する。ワークショップへの参加、それはもうSweetなお小遣い稼ぎとなる。この日当(DSA)は最終日に参加者に渡されることが多い。初日に渡せば1週間のトレーニングでも参加者の多くは初日でいなくなってしまうという笑えない事実もある。DSAシステムは援助全体に悪い影響を与えていると批判しているドナーやNGOもいる。
Ex-bossのDr.Aguはよく笑いながら右目を右手でかくしてこう言った「Ichiro、夫婦が上手くやっていくコツはこうだ」。実際、Dr.Aguが意図していたのかは定かではないが、UNICEFとカウンタパート(national/district)は夫婦みたいな関係のような気がする。なるべくいいところだけを見て、気に入らないところは見過ごすか我慢する。気に入らないところに腹をたてるより、いいところを伸ばすような気持ちでいることが必要なのかもしれないと考えている。7年前、最初のアフリカでの経験では理想実現に躍起になり、鼻息が荒くなれば荒くなるほど人と協調するのが難しくなり、物事は動かなくなった。
僕の所属する教育課の年間予算は大体2億円程度、お金の出所はUNICEFのNY本社、CIDA(Canada)、NORAD(Norway)である。子供達に会いながら、この2億円のうちのどのくらい彼らたちに益として届いているのか?与えられた2年間(3年間)その益を少しでも大きくすることが自分にとってUNICEFでのチャレンジであると考えている。

JPO先輩や同僚の方、皆さんのアドバイスやご意見をお待ちしています。

進め!JPO(タンザニア教育編) 第4回 2001/2/24
クラブJPOの皆様。第4回目Child Friendly School をお送りさせていただきます。
3回目の後、皆様よりアドバイスやご指導いただけたことを大変嬉しく思いました。
第4回 Child Friendly School
1.タンザニアの就学率(Net)は57%、アフリカの中でもかなり低い。
2.7歳で入学する子供が20%もいない。(7歳は小学校入学年)
3.平均9.5歳で入学するため4年生になるころには13.5歳、この時Drop-out多発。
4.校舎、机、教科書がない。
5.学費は約Tsh4,000(\600)また、制服や靴をそろえるのに約Tsh10,000(\1,500)
6.たくさんの先生やる気なし
7.生徒はとてもお腹が減っている。(朝食抜きで学校にくる)
8.鞭打ちあり。
9.AIDSやマラリアで両親をなくした子供が多い。
10.先生が女の子生徒をレイプする事件多発。
11.卒業時に国家試験があるが生徒のperformanceは著しく低い、また男女の差大きい。
12.女の子家事優先(学校に行けない、または休む)
地域それぞれに特有の問題があるが、以上が地方小学校での主な問題である。ホームページhttp://home.att.ne.jp/blue/matsushou/jpohome.htm (何度もすみません)
写真7は子供たちと校舎である。8,9は違う学校の校舎内での生徒。生徒との会話(自己紹介した後)
宮沢:この学校ではなにか問題がある?あったら教えて。
生徒(全):問題はありませーん。
宮:本当?先生に言わないから正直に言ってお願い。(先生が知ったら鞭打ちの刑の可能性大)
生:ありませーん。
宮:分かった、じゃぁお腹へってないんだね。
生:サーナ(スワヒリ語:とても)
宮:ほらみろ、他は?
生徒の一人:先生あんまりこない、、、。
写真14は学校に行っていない女の子達。この子達との会話。
宮: 学校に行ってないの、行きたい?
子: 行きたい、、、でもたくさん家で仕事あるから、、、水汲みに行ったり、料理したり、、、
学費や制服等にかかるお金は約2000円程度、地方で一日畑で働いて30円(Tsh200)の日給を得て子供が数人いればどうやってこのお金を払うのだろうか?実際、ほとんどの生徒は学費の全額を払えることはなく、未納のまま学校にいたとしても、校長先生から「さぁ、お家に帰ってお金を集めてきなさい」ということになる。すこしでもお金を持ってくるまで学校には入れない。
Child Frindly Schoolのコンセプトは(2pageのconcept paperがあります。ご興味ある方はお送りします)
1.子供にとって効率的であること(学ぶ側が主体となった教授方法の採用等)
2.子供にとって健康的な環境を提供すること
3.Protectiveであること(体罰や鞭打ちがない)
4.Gender-sensitiveであること
5.地域のCommunityや家族をInvolveすること
タンザニアのChild Friendly Schoolでのポイントは特に、
Teacher Frinedly Schoolであること、
CommunityをよりInvolveすること、
またタンザニア特有の教育の再活性である。
地方での先生の多くはやる気を失っている。「それは給料が低いせいだ」ということで片付けられることが多い。でも同等かそれ以上に問題なことは先生はずっと無視されつづけていることである。地方に赴任しても住む家はなし、スタッフルームなし、机なし、教材なし、何か意見があっても地方自治体や村は聞く耳持たず、さらに給料は時折届かず。学校と村が少しでもいい関係を築き、先生が働きやすい環境を整えていくこのが重要課題である。
ほとんどの村は学校に資金的に貢献することに疲れている。いままで、校舎建設やその他にためにお金を寄付していたりする。村の人がもっと学校の方向の決定権をもったり、授業やCurriculumに参加していくことで、村がより大きく学校運営に関わっていく。
昨年はNational Levelで、何度かこのChild Friendly Schoolに関する会議があった。UNICEF NYより送られ来たChildFrinedly Schoolの書類を片手に参加者(National&District officer)はChild RightsやGenderについて語る。なにか矛盾しているようだが、参加者がその書類を教科書のように扱い、子供の権利や学校環境の関して表面的な論議を始めることが良くあった。そういう時は決まって、参加者にこう聞く「子供だったころ学校好きでしたか?」、ほとんどの人は好きだったと答える。さらに「どうして好きだったんですか?」と聞くといろいろな答えが返ってくる。「ではその好きだった学校(30年前)と今の学校ではなにがちがうんですか?」
自分より20歳うえのOfficer達に若造の意見がどこまで届くかと思いながら図々しくも意見を出す。
「Child Friendly Schoolはどこかの国から学校をもってくるのではなくて、新しい知識を取り入れながらタンザニアにあったChild Friendly Schoolの再活性だと思うんです。」これは、以前ケニア山の小さな学校で教師をしていたときの経験から痛切に感じることである。やる気を失っている先生にもあったが、教師として誇りを持ち生徒の興味を引き素晴らしい授業をしている先生にもあうことができた。外から入ってくる情報も大事にしつつ、このような先生や国/地域文化を中心とするChild Friendly Schoolが築かれ、そこで楽しく勉強し遊ぶ子供たちに任期終了までに会えればと考えている。

長いのにも関わらずここまでお読みいただき有難うございました。
アドバイス、不明点のご指摘お待ちしています。
進め!JPO(タンザニア教育編) 第5回 2001/3/5
タンザニア教育編の第5回お送りします。毎日いろいろなことがあるのですが、いざ書くとなるとネタ切れの感がありました。書き始めては全部消しの繰り返しを続けてしまいました。それで、最終回は「生き残り?今後の展望?」です。
2年目に入って時間の進みが異常に速くなってきていることに気づいた。「あれ、もう金曜日」ということが多い。充実しているのか、溜まる仕事にコントロールされているのか。色々なところから火が上がり慌てて駆け寄って火を消す、するとまた違うところから火が上がる。消防士というと格好がいいが、要するにモグラ叩き状態である。(ふるい!!)
9月にNYで研修があった。UNICEFにて何年も仕事をしている人の話を聞くことができた。感想は「プレゼンテーションが上手い」である。というか、ただ喋るだけでなく、人の関心の捉え方がとても上手い。さらに、人柄がでていて、とても親近感を感じた。素質の有無もあるかもしれないが、叩上げで経験と努力の賜物という感じがした。UNICEFで生き残るには大事な技術と感じた。第2回で紹介したDr.AguやMabalaもとても上手いプレゼンターで、人前に出てくると人の目を引きつけ、言葉にとても説得力がある。自分が学びたい(盗みたい)能力のひとつである。NYで「SmartSpeaking」という面白い本を買った。
ここの事務所で自分は「Computer Witch」(コンピュータ魔法使い)と呼ばれている。オタクではないし、実際はワード、エクセル、パワーポイント等が使えるだけ。でも事務所は秘書もOfficerも40代後半が大半でみんなメチャクチャコンピュータに弱い。ウィルスがコンピュータに入ったと聞けば、コンピュータを開いて焼きでも入れそうな雰囲気がある。
「Ichiro,プリンターから紙でないけど、ちょっと来て、、」
「ワードで表と図形を作りたいんだけど、、」
「今日の午後パワーポイントでプレゼンするんだけどどうしよう?」
「このあたしの25年前の写真をスキャンして、色を付け直してちょうだい、、」
「ラジオ、ラジオ、ラジオ聞けるようにして、、」
「子供の宿題の写真を印刷して、、」
上の3つまでは、ホイホイと手伝うが、下の3つの場合「あのねぇ、、ここは仕事場なの、ダメッ!」ということもあれば「これが絶対最後!」とブツブツいいながらやることもある。ついにボスのRozanneにのせられて、BELSAComputer学院を毎週金曜日午後に開くことになってしまった。何でも屋状態である。でも、この少しのコンピュータ技術のお陰でSchedule、Annual Plan、Logical Frame等や Presentation materialの作成がとても早く効率的に出来て、本来のEducation Officerとしての仕事もはかどっている。これからJPOになられる方、Computer Skillは高ければ高い程いいかも知れません、、、?
ここタンザニア事務所には5人のJPOがいる。デンマーク2人、オランダ2人と日本人の自分。年齢は29歳から33歳で自分は上から2番目にあたる。みんなぞれぞれ能力が高く、しかもみんなとても面白くいい同僚・友達でいる。NYでもJPOにたくさん会う機会があったけど、不思議なことに「JPOの後もUNで仕事をしたい」と言うJPOに会うのは稀である。NYの上田さんの「進め」での統計もその傾向が出ていたような気がする。事務所や機関によってはJPOは不当に扱われるケースも多いことを聞く。また、悪名高いボスの下で働くことを強いられることもあると聞く。そういうところは日本の企業と同じである。
今現在では、自分はしばらくUNICEFで仕事をしたいと考えてる。でも家族のこともとても大事で、妻とよく相談する必要がありそうだ。とりあえず、32歳になってJuniorと呼ばれるのは正直少し不本意ではあるが、今は半分Learnerでしかもお給料がもらえて、好きな仕事が出来る。
最後は少しまとまった文章にしようと思いましたが、要点を得ない内容になってしまいました。ここまでお読みいただき有難うございました。また、Child Friendly School等で進歩がありましたら、このMLに連絡させていただこうと思います。
今後、調査や旅行等でタンザニアにいらっしゃる際は是非お声をおかけください。
宮沢一朗


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その後・・・・・・・・・・・・・・・・・・

JPOその後 (進んでいると思いたい)

宮沢一朗
UNESCO Islamabad (Pakistan)

皆さん、こんにちは 7年8ヶ月ぶりに投稿させていただきます。

二井矢さん、「その後」シリーズにご指名いただき有難うございます。

1999年11月~2002年11月 UNICEFダルエスサラーム(タンザニア)でJPOをした宮沢一朗といいます。
「進め!JPO タンザニア教育編」を読み返してみました。今と言っていることが同じですこし不安になりました。

現在はテロに少々怯えながらパキスタンのUNESCOで仕事をしています。手短にJPOの前後の経歴はこんな感じです。

大学卒業 (1992)
ケニア(協力隊 1992-1994)
ニューヨーク(留学 1995-1997)
インドネシア・フィリピン(JICA・世銀コンサル1997-1999)
タンザニア(UNICEF JPO 1999-2002)
ミャンマー(JICAコンサル 2003)
バングラデシュ(UNESCO 2004-2006)
パキスタン(UNESCO 2006-)

1.JPO その後

残念ながらUNICEF勤務中の3年間に次のポストは取れませんでした。アジアで仕事がしたいと考えていたときに、ミャンマーにて興味深い教育プロジェクト(JICA)の話をいただき飛びつきました。ミャンマーの教育省と小学校教師の指導要領を作る作業でした。ミャンマーは人がやさしくて気品に溢れていて素晴らしい国でした。

そんな中、UNESCO本部よりバングラデシュのポストの件で連絡が入りました。UNICEFにいる時に応募したものです。インタビューを3回(2回電話)行い、赴任は2004年1月でした。それは応募から約2年が経過した後です。

UNICEFはFunding AgencyでUNESCOはTechnical Agency、業務内容は似ているとはいえ予算規模、システム、組織文化すべてが違いました。2つの組織をたとえるとUNICEFが「若く筋肉をもつ率直なアメリカ青年」でUNESCOは「ワイン片手のフランスの頑固爺さん」といった感じ、、、分りにくいですね。お互いに一長一短ありますが、一般的に途上国内のプレゼンスや貢献度はUNICEFがかなり上回っていると思います。

しかしながら、国連本来の役割であり、今後さらに強調されるものが4つあります。それらは、「Advisor」「Convener」「Advocate」「Provider」です。 この4つの役割はUNESCOがTechnical Agencyとして得意としているところです。

バングラデシュで2年半が経過した2006年6月に、本部からイスラマバッド(パキスタン)への転勤の連絡が来ました。これは晴天の霹靂でした。悩んだあげく、家族のサポートを受け異動する事にしました。

なんとかバッドと聞くと砂漠、戦車、銃をもったヒゲの兵隊を想像しませんか?自分もその一人でした。でも、来てみると緑と青空のとてもきれいな首都で、ガンダーラが近くにあるのもうなずけます。

そして今、イスラマバッドにて教育課の12人のスタッフと仕事をしています。いくつかの教育プロジェクトを実施しつつ、一番時間をかけているのが「One UN Joint Programme in Education」です。世界で8つの国でパイロットが行われていて、パキスタンはそのうちのひとつ。要するに10も20もある国連組織のプログラムを1つにしよう、リーダー1人、予算システム1つ、1つの事務所、そして目的はDelivery as Oneです。

2007年から本格的に始まったこの「One UN Programme」の調整員(Focal Point)をしています。教育セクターで活動する9の国連組織をまとめたり、政府側との交渉はなかなか時間がかかります。「船頭多くして船沈む」ではありませんが難航しています。この「One UN」に関しての課題や教訓はClub JPOと国連フォーラムに近々に投稿する予定です。


2.国連を手段として見る

自分にとって国連は開発に携わるための手段であり、いろいろな学び、出会い、機会やチャレンジを与えてくれる場所であると考えています。入り口であったJPO制度に感謝しています。

成果を出すという意味で国連の問題は山積みです。国連職員になりたいと思う有能な人がたくさん日本にいることはとても心強いことです。でも組織に入ること自体がゴールになってしまうことに気をつけてください。

入ってみると現実とのギャップ、あまりに非効率な組織に数年で嫌気が差してしまうことも多いと思います。可能な限り、興味のある組織に関してサイト、セミナー、ブログ等で情報を集めてみてください。組織を使って、こんな事業をしたいというようなイメージや目的をもたれるのはどうですか?

3.宣伝

教育開発や国連に興味がある人へ参考になるようにと思い、ブログを更新しています。
皆さんにすこしでも役立てば幸せに思います。 このところテロネタが多いのですが、、、。

教育開発の仕事:http://miyaichi.seesaa.net/ 

内容
途上国の教育の実情
教育プロジェクトの進め方
国連職員の仕事
教育開発プロフェッショナルになるための耳よりな情報、等


ここまで読んでいただいて有難うございます。

宮沢一朗
UNESCO Islamabad (Pakistan)

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