2013年6月26日水曜日

「泳げ!APO(モーリシャス編)」WHO 西村由実子氏

WHO
西村由実子氏
「泳げ!APO(モーリシャス編)」

泳げ!APO(モーリシャス編)No.1
はじめまして。西村由実子(にしむらゆみこ)です。
99年1月より、WHOモーリシャスでAPO(=Associate Professional Officer)として働いています。連載をはじめることになりました。
まず、タイトルですが、たいやきくんを意識したわけではありません。私も、「進め!JPOシリーズ」に乗っていこうと思ったのですが、半年あまり、仕事になかなか乗れず、自分の進む方向が見えなくて、落ち込むことが多くありました。素直に「進め!」と突っ走れない自分がいる。そこで、ちょっと、にごして「泳げ!」で、ごまかすことにしました。あと、インド洋に囲まれた島国モーリシャスの様子を感じてもらいたいなぁ、という思いもこめて「泳げ!」です。続くAPOは、「エイ、ピー、オー」と呼びます。「アポ」ではありません。これは、いわゆるJPOのことですが、WHOでは、こう呼ばれています。
簡単に経歴紹介をします。
生まれ&育ちは兵庫県。神戸大学文学部で社会学を専攻し、タイ山岳民族カレンをテーマに卒業論文を書きました。卒業と同時に青年海外協力隊(社会学)として、西ケニアの人口事務所に赴任。所長補佐として家族計画やエイズ予防の教育に携わりました。一番夢中になったのは、参加型教育劇によるエイズ教育です。任期終了後、日本に帰り、神戸大学大学院文学研究科に進み、社会学専攻で、「アフリカのエイズ」をテーマにしました。その間、インターンをしたり、参加型手法やエイズに関するショートコースに参加するなど、大学以外の所にも顔をだしました。大学院修了後は、FASIDでインターンとして少し働いて、エイズ予防財団によるアジアエイズ専門家研修をへて、冒頭のWHOモーリシャス事務所赴任につながります。ここでは、保健省の国家エイズコントロール・プログラムのお手伝いと、UNAIDS Theme GroupのSecretaryおよび Focal Pointを、やっています。
以上です。連載のはずが、一回で、すべて終わってしまいました。
次号からは、いくつかのキーワードにテーマをしぼって、何か書こうと思います。そこで、今の自分にとって大切なキーワードたちをリストにしてみました。もし、何か興味が重なる方がいて、このキーワードについてもっと話しあいましょうということがあれば、ML上でも、直接メールででも、教えてください。私もそのキーワードをとりあげます。特にリクエストがなければ、適当に自分でピックアップして5、6回を目標に、書いてみます。水曜日発送の予定です。それではまた。
<キーワード集>
中学時代/関西NGO大学/PHD協会/大学/東京遠征/協力隊/大学院/インターン/ショートコース/借金/「ずれ」/エイズ/アフリカ/ケニア/タイ・カレン族/神戸/社会学&人類学/参加型/留学の夢/芝居&演劇/保健医療/しあわせ/家族/UNAIDS/MTCT/フランス語/スワヒリ語/英語

泳げ!APO(モーリシャス編)No.2

こんばんは。モーリシャスの西村(WHO・APO)です。
Aさん:After reading your mail, I looked at map to identify where Mauritius is.
コメント:I did so too, when I was first told about the job offer from Mauritius!!
Aさんをはじめとして、直接ご意見やリクエストのメールをくださったみな様、どうもありがとうございました。
キーワードに触れる前に、この小さな島の様子を少し。この国の主要産業はさとうきびです。今、刈り入れのシーズン。今年、モーリシャスは史上最悪の水不足にみまわれました。給水制限されており、今でも、我が家では、平日の日中は水がでません。この水不足のさとうきびへの影響は深刻で、現在稼動している製糖工場は、例年の3分の2とか、、。それでも、収穫が始まり、見慣れた緑の絨毯が剥ぎ取られ、視界がぽっかりと広がって気づいたのは、1月に来たとき、腰ぐらいの高さだったさとうきびが、今は、人の背の倍ぐらいの高さに成長していたことです。8ヶ月弱の時間はやっぱり流れたのですね。
さて、キーワードですが、インターン、借金、「ずれ」、エイズに2つ以上のリクエストを頂きました。そこで、今回は、私が経験した2つのインターンの感想を書いてみます。
その1 WCK (WHO Centre in Kobe)
大学院の1年と2年の間の春休みに、神戸にあるWHOの健康開発総合研究センターという所で6週間のインターンをしました。Economistのスーパーバイザーのもとで、都市健康の指標と決定要因についてのWorking Groupの下準備のお手伝いをしました。このインターンでよかったのは、とてもよいスーパーバイザーに出会えたことです。内容は忘れましたが、働き始めてすぐに、“What do you think?"とインターンの私の意見を求めてくれました。あれしなさい、これしなさい、と言われて、従うことに慣れていた私は、彼女のそういう態度がとても新鮮でした。よく笑い、よくしゃべって、人間的にもとても温かい方で、こんな方のもとで、2,3年働けたら、いいだろうなぁ、と思ったものです。6週間は、やはり、期間としては短く、技術的なものを何か得る、あるいは残す、というより、色んな国籍の人が働く場の雰囲気の味見をさせてもらう、という経験でした。待遇は、無給。自宅から通えたのでラッキーでした。もう、貯金も底をつきはじめていましたから。
その2 FASID (国際開発高等教育機構)
大学院を終え、APOの派遣が決定するまでの猶予期間(?)に、東京の九段下にあるFASIDの国際開発研究センターで、3ヶ月半、インターンとして働かせてもらいました。日本での職務経験がなかったので、「日本で働く」経験を積むということが一番の目的でした。こちらは、インターンといっても、毎日出勤して月給を頂くという一般社会人の待遇でした。私に与えられた仕事の内容は、二つの研究会の前年度の報告書のとりまとめと、インターンに任されていたBrown Bag Lunchという昼食講演会の運営などです。FASIDには、毎年3,4名のインターンがいます。同じ立場の仲間がいるということは、面白かったです。また、開発関係の情報や人々に直接、たくさん出会えたことが、刺激的でした。「小田急線と地下鉄に乗って出勤なんてすごーい」というお上りさん気分が抜け始めたかな、というころに終わってしまいました。
私がインターンをした二つの場所は、たまたま、アカデミックと実務がおりまざっているようなところだったことは、よかったです。一般的に、インターンの良さは、人や情報に触れる機会を得ることではないでしょうか。欠点としては、期間が限定されてしまう、という点があるかと思います。いずれにせよ、待遇、期間、趣旨等が機関によって様々ですし、応募する人の目的も様々なので、融通がきく制度として、利用価値はあると思います。
ぅわ、とても長くなりました。このあたりで失礼します。来週はザンビアに行くので、お休みします。それでは、また再来週。
西村由実子
(1999年9月8日水曜日)

泳げ!APO(モーリシャス編)No.3
こんばんわ。ザンビアから帰ってきたモーリシャスの西村です。
Bさん:西村さんが現在行っておられるザンビアでのアフリカエイズ会議の記事がかなり大きくDAILY YOMIURIに出ていました。どのような学会だったのか、APOとして国際機関代表として学会に出席した感想など教えていただけたらと思います。
ということで、今回は、キーワードの中から、アフリカ&エイズをとって、このXith International Conference on AIDS & STDs in Africa (ICASA)で、垣間みてきたことのフレッシュな感想を報告します。ちょっと長くなりそう。許してください。
その1 ICASAとは?
アフリカ地域のエイズおよび性感染症対策について話し合う国際学会です。上記のとおり11回目を迎えています。世界の国際エイズ学会は、2年毎に開かれ、その合間の年に地域ごとの学会が開かれます。ICASAは、そのアフリカ版。国際エイズ学会の方は、去年がジュネーブ、そして来年は、南アフリカのダーバンということになっていて、これが、初めての途上国で開催ということで注目されています。
そのような大きな国際学会の間に開かれるこのICASAが、どんな意味をもつのか。
テーマは、“Looking into the future: Setting priorities for HIV/AIDS/STDs in Africa"でした。政府のコミットメントや、科学的に目新しい発表がないことに不満の声もありました。しかし、今回のザンビアでの学会の意義は、HIV/AIDS/STDのアフリカにおける甚大な社会経済的影響に対して、コミュニティが様々な形で、どのように対応してきたか、その経験を集積することに焦点をあてたことであったようです。
参加者は6000人を越えました。雑然、騒然とした様子、想像していただけるでしょうか、、。
その2 問題は宿泊施設だ!
6000人の参加者というのは、ルサカという町のキャパシティをはるかに越えていました。そんな数のホテルは、物理的になかったのです。
それでも、私は、1週間前に、大会事務局から申し込みと宿泊施設についてのコンファメーションの書類をもらっていたので、勇んで、登録に臨みました。大会抄録とバックやバッチをもらい(第9回のカンパラでのICASAでは、大会抄録が足りなくなったという苦い思い出がある)、なかなかいいスタート、と思いきや、、。
係りの人が、私の宿泊施設と書かれていたOXOX Collegeとやらは、利用できないわよん!というのです。あまりにも予想された(?!)事態だったため、万が一のためにひかえてきた日本人宅に居候か、という案が頭をよぎりました。しかし、何やら聞いてみると、会場近くのザンビア人の家をゲストハウスとして、提供するというではありませんか。そう言われると、ここまで来たんだから、彼らがアレンジしてくれることに、とことんゆだねてみよう、という妙な好奇心がわいてきて、その家に宿泊することにしました。
結局、タンザニアとウガンダからの参加者が二人づつ加わりました。彼らの話を直に聞くことができ、高級ホテルでは味わえない、くつろいだ滞在になりました。
その3 国際機関の代表として??!!
上記の宿泊場所の件からも、わかるように、私は、国際機関職員としては、少し、はみでた形での参加でした。
それでも、ちょっと、国際機関職員の働き方を垣間みたのは、UNAIDSやWHOのスタッフが毎日行っていたスタッフミーティングに参加したときです。全体会議は、朝8:00から始まるのですが、UNAIDSの関連職員は、その前、7:15に毎朝集まって、前日にあったことや、その他の提案について、ミーティングをもっていました。さらに、WHOは、すべてのプログラムが終了したあと、夕方6:00から、職員同志のシェアリングのミーティングをもっていました。普段、モーリシャスにどっぷりつかっているので、これらの場で、本部やアフリカ地域事務所で働く人たちの雰囲気に触れたのは、新鮮でした。
あと、人手が足りない、UNAIDSのブースで、資料配布を手伝いましたがこれは、ただのマンパワー!
その4 私のディレンマ
会議の中で、よく聞かれた言葉は、「アフリカの文脈」「アフリカの文化」。多様な人々や文化を「アフリカ」と一言でくくることには、必ずしも納得できないけれど、ケニアでの経験を思い出すと、なんとなく、その感覚、みたいなものには、うなずくことができる。しかし、現在、私の任国である、モーリシャスは、この「アフリカ」とは、かなりちがっている。
例えば、関心が集中した母子感染予防の問題。母乳によるHIV感染が認められている状況で、感染しているお母さんたちに、どう指導をすべきかについて、大きな議論がある。基本はインフォームド・チョイスだが、母乳を使わないことのリスク(水による下痢、スティグマなど)の大きさを考えた場合、やはり母乳を推進というのが、今のところ、「アフリカ」での母子感染対策の奔流だ。そのなかで、モーリシャスは、「人工乳」をすすめ、かつ供給することもできるという立場にある。安全な水の供給が可能で、かつ、妊婦の感染も極めて少ないからだ。自分は、「アフリカ」での、必死なエイズに対する対応を、まるで、対岸の火事として眺めているみたい、、、罪悪感のようなものにかられることの多い1週間だった。
それでは、今回は、この辺で。急いで水曜日(モーリシャス時間)のうちに送ります。

泳げ!APO(モーリシャス編)No.4
こんばんわ。モーリシャスの西村です。
もう水曜日。今日は短めにさくさくっと。
大学院で何を専攻するかなどの選択について、話題がでているようです。人それぞれですが、自分のこれまでの選択はどうだったか、
「ずれ」をキーワードに、振返ってみます。
<ずれ 1>東南アジアからアフリカへ
協力隊の募集要綱をぺらぺらめくっていたのは大学3年の秋。タイ、チェンマイ大学山岳民族研究所での仕事<人類学>を見つけたとき、「これは私の仕事だ」と勝手に思い込んで、応募した。高床式の家でくつろいでいる自分、その後、山岳民族の専門家になっている自分を心に描きつつ。。。でも、結果は有資格で、しばらくたって舞い込んできたオファーは、ケニアの人口事務所、社会学。「え、ケニアってどこ?」からはじまり、人口問題については、そのときから勉強しはじめた。しかし、2年の任期が終わるころには、「あと10年はアフリカにかかわりたい」、「公衆衛生、基礎保健の分野を社会的側面からみていく専門家になりたい」と思うようになっていた。
<ずれ 2>国際協力科でなく文学研究科(社会学)
大学4年のとき、神戸大学には、国際協力専門の大学院が開設された。これぞ、私が進む道、と勇んで受験したけれど、不合格。そこで、もともと所属していた文学部の社会学専攻を継続することにした。協力隊参加による休学をおえてから始めた大学院生活では、「社会学」の専攻を深めながら、国際協力科の授業を受けたり、先生に指導をしてもらうことができた。今は、専攻は?と聞かれたときに、国際学ではなく、社会学(医療社会学or開発社会学)と言えるのが、ちょっと嬉しい。
<ずれ4>留学じゃなくてJPO(APO)
大学院終了後は、公衆衛生を学ぶために留学するというのが、ひとつの大きな夢だった。留学には、中学生の頃からあこがれていた。大学院2年のときは、留学のための奨学金の試験をたくさん受けたし、いくつかの大学には願書もだした。しかし、最終的には、合格通知を下さったのは、人事センターだけだった。
<ずれ 3>南部アフリカ・・・インド洋?
アフリカのエイズにかかわっていきたい、という強い気持ちをもって、待ったJPOのオファー。ケニアは、東アフリカだったから、今度は、南部アフリカぐらいがいいな、最近、感染率がすごくが高くなっているし、、と思っていたら、今度のオファーは、モーリシャス。まず、「え、モーリシャスってどこ?」そして地図をみて、「うーん、すこーし、ずれた。」実際にやって来て、「うーん、かなり、ずれた。」・・・ここは、アフリカ、途上国というものさしでは、はかりきれない不思議な場所なのです。
これだ、と思ったことに挑戦してみて、その結果、生じる「ずれ」は受け入れて、自分の味方にしてしまうのがいいようです。思いがけない「ずれ」が、人生をおもしろくしてくれるように思います。といっても、私も、上述の<ずれ3>および<ずれ4>は、現在進行形で体験中。何年か後に、「これでいいのだ(よかったのだ)」といいたい!!その意味で、下記のCさんさんの言葉には、勇気づけられました。
Cさん:・・・また、別の道が開けてくるものですし、そっちの方が良かった、と思うこともあるでしょう。・・・
それでは、また。
西村由実子
泳げ!APO(モーリシャス編)No.5

こんばんわ。モーリシャスの西村です。
連載、5,6回を目標にしていました。これまで、とても真面目に書いてきましたので、第5回の今日は、ちょっとひと休み。来週、最終回にします。
Dさん:私は、小さい頃チュニジアに住んでいて、協力隊……(略)……大学では学んでいます。(3年生)今フランスにいるのは、法律以外の面から「環境問題」と、アフリカ(特に北アフリカ)に関する授業をとるためです。
Dさんのメールを読んで、元気がでました。どうもありがとうございます。小さい頃に海外で生活した経験があるっていいなぁと思います。ケニアでもここモーリシャスでも、JICA専門家などのお子様たちをみながら、「こんな感受性の豊な時期に、こんな生活ができた子どもたちって、どんな風に育つんだろう」と羨望の眼差しで、見つめたものです。井筒さんのようになるのですね、、、。フ、フランス語ができるなんて、すごい!!!! 私は、モーリシャスでフランス語&クレオール語がさっぱりわからず、まだ、大苦労中です。(でも、一応、公用語は英語です。)
Eさん:(私の住む)ジャマイカは、皆さんはレゲエや観光地というイメージが強く… 略
なんか、モーリシャスに似ているような気がします。こちらは、人口110万人東京都ぐらいの大きさ。ただ、経済の状態はとてもよく、高度成長の真っ只中で、治安もいいです。モーリシャスについて、フィジーと似ているという人もいました。「島嶼国」という枠組みで、発展における障害や利点を比較したり、シェアすることは、おもしろそうですね。
Fさん:(医療政策、医療保障制度)を学んだ後、どの国際機関で活かせるのかが良く分かりません。
医療ならば、やはり、WHOが選択肢として挙げられるのでは、ないでしょうか。あと、世界銀行の保健セクターもとても強いのではないかと思います。
<ひとりごと>
先週末、アメリカ大使館が招待したJazzグループのコンサートがありました。収益がHIV/AIDSと共に生きる人々のための活動をしているNGOに寄付されるというチャリティーの意味もありました。モーリシャスでは、インド映画は、テレビでいやというほど見られるのですが、こういうコンサートなどの機会は少ないので、「とにかく、行くー!」というかんじで、参加しました。
いやぁ、よかったです。3人組みが、「Jazzが、好きで好きでたまらない」という様子が肌で感じられて、、。人の心を動かすのは、こういう体当たりの表現なんだよなぁ、、、目から鱗、でした。私も、この地での芝居デビューの道を探りたいものです。
それでは。
西村由実子

泳げ!APO(モーリシャス編)No.6
こんばんわ、西村@モーリシャスWHOです。
昨日のラジオで、60億人目の赤ちゃんが生まれたと聞きました。何はともあれ、新しい命の誕生はおめでたいです。70億はいつでしょう。(UNFPAの方、ご存知ですか?)70億人目の子どもを産む母親をねらいたいものです!
自己紹介、インターン、ICASA、「ずれ」、ひと休み、、となんの脈略もなく書いてきた連載の最終回です。最近、高校生や中学生の方がMLに登場して刺激的でした。そこで、いろんな意味で出発点であった中学生の頃を振返りつつ、これからの自分の仕事に喝を入れようと思います。
**ユニセフ劇「ネパールからのおくりもの」**
学習発表会で、「ネパールからのおくりもの」という劇をやりました。当時、大阪の中津にあったユニセフ協会に行き、ビデオを見せてもらったり資料を集めたりして、自分で脚本を書き、手作りした劇です。「ネパールからのやってきた転入生と、主人公の太郎君が、ゴキブリ出現をきっかけに(?)入れ替わってしまう。そして、何もしらない太郎君が、ネパールでの生活を経験する」というストーリー。メッセージは、「途上国と呼ばれる地域でも、子供たちが生き生きと暮らしている」ということでした。歌、踊り、笑いあり、ほんの少し涙もある、なかなか上出来でした。思い出してみると、好きなことや大切だと思っていることは、10数年たってもあまり変わっていない(成長していない)ようです。
**ベリアさん**
中学生のとき、我が家にホームステイしていた女性がいました。タイからNGOの研修生として日本に学びに来ていたベリアさんです。私にとっては、ただ優しいお姉さんでした。大学生になってから、スタディツアーで彼女の村を訪れましたが、あいにく彼女は、ビルマの人と結婚していて、そこにはいませんでした。もう、ずっと音信不通です。でも、彼女との出会いが、途上国と呼ばれている地域を気にするようになったきっかけでした。いつか「あなたに会ったおかげで、こんな人生になったよ」と報告するのが夢。
**大海の一滴**
1998年末現在で、HIV/AIDSと共に生きる人々は、世界に3300万人以上いると見積もられている。モーリシャスで、報告されているのは、200人ほど。しかし、私の仕事は、それらの人々に直接かかわるのではなく、年間計画作りや、データ集めと分析、いろんな立場の人を集める会議の日程調整などなど。私、誰のために働いているの?何人の役に立っているの???
こんなときに励みにしているのは、「たとえ、大海の一滴であっても、一滴がなければ、大海はその一滴分だけ少なくなってしまう」というマザーテレサの言葉。まずは、一滴になることをめざそ!
**井の中の蛙、大海を知らず**
小・中・高・大と、大阪湾を見渡すことができる景色だけは、よい所で育ちました。海を眺めながら、「あの海の向こうに行くんだ」と夢みたものです。私は「井の中の蛙」にはならないで、「大海を泳ぐ蛙」になるんだ、、と。望みかなって、インド洋という(&WHOという)大海の真ん中にやってくることができました。そうして、知ったことは、大海には、大海の悩みがあるんだということでした。
・・・みなさま、ぜひ、一緒に大海を泳ぎ&潜りましょう。
モーリシャスでお待ちしています。
おわり
・・・・・・・・・・・・・・その後・・・・・・・・・・・・・・・・・
「泳げ!APO」続編-岸にたどりついたAPO-

「泳げ!APO」、と題して、Club JPOの「進め!JPOシリーズ」に拙稿を書いたのは、8年前。その後、私は、モーリシャスのWHO、APOとしての任期をほぼ2年で終え、日本の大学院の博士課程に進学した。そして、ようやく博士の学位がとれたのは、今年の1月。丸7年、ずっと潜水したまま浮上することは難しいかとも思われた学位に、やっとケリをつけることができた。ばんざーい!続編?今なら、書けそう。

<APO後の進路>
2001年2月のAPOの任期終了から、今年1月の学位取得までに、私に起きた出来事を並べると、だいたい次のようになる。
介護→進学→フィールド調査→結婚→留学→非常勤講師→出産&子育て→研究員→博士学位取得。

JPO任期終了(2001年2月)
→介護(2001年2月~現在)
→進学(2001年4月)
→フィールド調査(2002年10月~2003年3月)
→結婚(2003年5月)
→留学(2003年8月~2004年8月)
→非常勤講師(2004年10月~現在)
→出産&子育て(2005年11月~現在)
→研究員(2006年7月~現在)
→博士学位取得(2008年1月)

介護や子育て(あれ?結婚もだ)、講師・研究員の仕事は、現在も継続中で、調査、留学、学位取得は、完了した出来事である。かいつまんで、ふりかえってみたい。

<APO直後の進路選択>
APO終了後、私は、公衆衛生の学位をとるべく、日本の大学院の博士課程に進学した。当時、この道を選ぶにあたって、最も、大きな引力となったのは、母の入院である。任期終了半年前ぐらいからガタガタと体調が悪くなり、とにかく、日本、関西の実家にしばらく帰ろう、という気持ちになった。

ちょうど、任期終了の1年前、京都大学に公衆衛生の大学院ができていた。進学を考えて連絡をとったのは9月で、すでに修士の試験は終わっていたが、博士の試験なら間に合うという。慌てて必要書類をそろえ、一時帰国して試験を受け、進学が決まった。学位取得に7年もかかるなんて、つゆ知らず。。。

<大学院でのコースワーク>
入ってみると、最初の1年は、授業、授業、授業だった。というのも、非医療者の私は、医療関係の基礎科目と、公衆衛生修士のための統計、疫学、医療倫理、情報等の基礎科目の単位をすべてとらなければならなかったからである。大変だったけれど、新しい知識を学び、モーリシャスの現場で試行錯誤したり、母の介護であれこれ思うことが整理される経験は、楽しくもあった。

<モーリシャスでのフィールド調査>
2年目、やっと自分の論文課題にとりくむことになり、もう一度、モーリシャスへ行くことにした。事前調査で、テーマをきめ、プロトコール作成、倫理委員会提出、資金調達(JICA準客員研究員)などを経て、モーリシャスでの半年間のフィールド調査に入った。モーリシャス保健研究所に籍をおき、保健省やNGO関係者、UN関係者など、APO時代にお世話になった人たちにも、協力してもらった。また、この期間中は、モーリシャス人の友人宅に、居候させてもらった。APO時代の土地勘や人脈なしでは、半年で終えることは無理だっただろう。

<留学を垣間見た。。>
3年目の半ば、大学院は休学して、アメリカのエモリー大学公衆衛生大学院に、1年間、聴講生として留学した。行動科学・健康教育分野の授業を受けることと、モーリシャス調査の結果をまとめて英語論文にすることが大きな目的だった。エモリー大学を選んだ理由は、エイズに関する調査研究の第一人者の先生がおられたことである。結婚後、単身で行ったこの留学、文句なしに、充実していた1年間だった。

<出産、育児>
時系列で書いていたら、登場が遅くなったが、APO後の8年で一番大きな出来事は、出産だったと思う。2005年の11月に、息子が誕生した。オギャー!国際保健の人々の話を聞いていて、日本で出産するなら助産院、という気持ちがあり、その予定でいたのだが、事情で出産1ヶ月前に、県立病院に変わった。『分娩台よ、さようなら』ではなく、『分娩台よ、こんにちは』だった。その後は、全面、育児の毎日に。。。

<今の私>
時間とエネルギーと気持ち、を一番使っているのは、子育てだと思う。昨年4月から息子は、保育園に通い始め、私も大学院での研究員の仕事と、非常勤講師の仕事をしている。大分、仕事に時間を使えるようにはなってきたが、熱を出しては、息子は保育園を休まなければならず、仕事をやりくりしたり、祖父母にお願いしたり、ということが起きる。寝かしつけるはずが、一緒に寝てしまい(寝かされてしまい)、夜中に起きてパソコンに向かう、、という日も多い。もっともっと、仕事をしたい、という気持ちと、もっともっと、子どもとゆっくり関わる時間をもちたい、という気持ち、両方ある。

そろそろ、海外での国際協力の仕事もやりたいな、とも思う。「これこそ、今の私がやりたいもの!」という魅力的な仕事にめぐり合ったら、とびつこう。そのために、アンテナは張っておこう、と思う。「次はどこでもいいから、外へ行きたい!」という20代の頃の思いと比べると、ややトーンダウンの感もあるけれども。。。

<私にとってのJPOって何?>
二井矢さんから、続編の話を聞いてから、自問してみたけれど、どうも、まだ、自分が中途半端で、答えを出すのが難しい。定年を迎えるころに、また、メールをください。その頃には、まとまった答えが出てくるかもしれない。

ただ、エイズ、公衆衛生というテーマに、携わり続けていること、博士論文の調査をモーリシャスでやったこと、を考えると、その後の進路の土台となった、集中的な2年間だったと思う。

<最後に。。。宣伝、募集>
今、神戸にある女子大で、週一回、「国際開発論」「国際関係論」などの非常勤講師をしています。この講義で、「国際協力に関わったことがある人に、メールで質問をする」という課題を学生さんに出しています。質問を受ける人として、ご協力いただける方、ぜひ、メールでご一報ください。よろしくお願いします。

西村由実子

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